「囀る鳥は羽ばたかない」タイトルについて考察ー鳥が囀る理由と羽ばたく理由
「囀る鳥は羽ばたかない」、今回はその印象的なタイトルについて考察。
鳥が囀るわけ
なぜ鳥が囀るのか?については以前ヨネダ氏がnoteに紹介されていました。
【囀り】
「鳥の歌」ともいわれ、主に繁殖期に雄が出す美しい鳴き声のこと。
生まれながらに身につけている鳥もいるが、ほとんどが学習により身につける。・雄が自分の縄張りを他の雄に対して宣言したり、縄張りに入ってきた雄に「出て行け」と威嚇する場合
・雄の求愛の場合
つまり囀りはオスの鳥による
①他のオスへの威嚇
②求愛
ということになります。
”①他のオスへの威嚇”に関してはいかにもヤクザっぽい。
兄弟杯の平田や竜崎が三角さんを「親父」と呼び、親子の杯をもらってる矢代が「三角さん」と呼んでいるのは、「この人は俺のものだ」という他のオスへの威嚇と宣言。
”ほとんどが学習により身につける”の部分も深いなと思う。
鳥は愛を求めて囀る。
ついに鳥が羽ばたいた理由
34話、35話で矢代と百目鬼に関して「鳥が羽ばたく」描写がされました。
ついに鳥が羽ばたいた理由。
それは矢代と百目鬼が”さえずるのを止めたから”と推察されます。
「自分のものにしたい」「ずっと側において欲しい」「もう誰にも触らせたくない」そう願い続けた百目鬼。
これは求愛と威嚇の鳥の囀りそのものでした。
百目鬼が自分の願いを変えた理由は35話時点で描写がないため不明ですが、さえずることを止め、自分の望む形ではない矢代の愛を受け入れた百目鬼は、矢代の側を去った。
だから鳥は羽ばたいた。
羽ばたいたんだけど。
羽ばたいた鳥はどうなるのか?
囀ることしか知らなかった鳥は羽ばたいてどうなるのか。
その点に関しては作中で描写されてこなかったように思うので、今後の展開待ちになるかと思います。
羽ばたいた鳥はどこへ向かうのか。
羽ばたくことと愛、幸福とは結びついていくだろうか。